日記
なぜ私は田舎へ移ったのか──「あるものでつくる、あるもので生きる」思想と共に
私が都会の暮らしから田舎へと生活を移したのは、現在の社会経済システムから脱却するためではなく、自然の循環の中で「本当に生きている」と感じられる日常を取り戻すためだった。都市では、労働は貨幣と引き換えに分断され、食べ物もエネルギーも「どこから来たか」に無関心になりがちだった。けれど、私たちの命は、自然の営みの上に乗っている。ハイデッガーのいう「世界-内-存在」(すでに意味のある関係性の中に生きている)人間として──すなわち、切り離された個としてではなく、すでに世界の一部として在るという在り方を、私は里山の暮らしの中で再発見した。
レイチェル・カーソンは、自然の声に耳を澄ますことが、科学と感性の両面から人間の生を豊かにすると説いた。私もまた、田畑を耕し、薪を割り、井戸の水を汲むという行為を通して、自然との対話を取り戻していった。科学者が言う「生態系の循環」は、ここでは暮らしそのものだ。余計なものはなく、足りないからこそ工夫が生まれる。「あるものでつくる、あるもので生きる」──この姿勢は、スローな自立と創造の源だ。
ハンナ・アーレントが分類した「労働(生存)」「仕事(創造)」「活動(対話・関係)」の視点においても、里山はバランスのよい環境だ。労働としての農的な営み、仕事としての手仕事や小さな経済、そして活動としての地域の共同作業や寄り合いが、日常に織り込まれている。田舎では、結や祭り、区の作業といった「活動」が人間関係の土台を支えている。これがあるから、労働も仕事も孤立せず、意味を持ち続けられる。これは、ノーベル経済学賞を受けたエリノア・オストロムが提唱した「共同管理(コモンズ)」の精神にもつながる。
田舎へ移るというのは、単なる空間の移動ではない。世界との関係性を根本から問い直し、自分の存在の仕方そのものを選び直すことだ。大量生産・大量消費の外にある「小さく、足るを知る」暮らし。それでいて、広く宇宙・自然界の理(ことわり)とつながる暮らし。これは、自然農の創始者である川口由一の言葉にも通じる。
私は里山に移ることで、「どう生きるか」という問いに、手を動かしながら、土や木に触れながら、答えを見出し続けている。これは終わりのない探求であり、自然と共にある暮らしの中でのみ育まれる「哲学」なのだ。