日記

2026-05-26 19:19:00

「なぜ森を育てているのですか?」「アルモンデの意味は?」

なぜ森を育てているのか、アルモンデの森ってどういう意味?
昨日、熊本県森林インストラクター協会主催の自然観察会がアルモンデの森周辺で行われ、40名の参加者で里山を歩いてもらいました。
私も少し、里山のお話しをさせて頂きました。
「なぜ森を育てているのですか?」「アルモンデの意味は?」
観察会では、ときどきそんな質問をいただきます。今回の質問のなかにもありましたので、すこし私の頭を整理してみました。
理由はいくつかありますが、いちばん最初にあるのは、
実はとてもシンプルです。
森にいると、楽しいからです。
木々の間を歩き、風や鳥の音を聞き、土や空気の匂いを感じていると、心が静かになっていく。特に五感を意識すると不思議と、疲れていた心に少しずつ活力が戻ってきます。
里山で暮らし始めてから、私は「自然は人を元気にする力を持っている」と実感するようになりました。
特に、子どもや若い世代にとって、こうした環境はとても大切なのではないかと思っています。
森、川、棚田、水路、草地――。
里山には、さまざまな自然が小さくつながり合っています。その多様な環境が、生きものたちを育て、人の暮らしも支えてきました。
私は今、この里山そのものが、人を幸福にする“インフラ”なのではないかと感じています。
だからこそ、この環境を未来へ残したい。
そのために、自分たちで実践を続けています。
自然農をすること。
炭を焼くこと。
森を手入れすること。
古民家を直すこと。
集落の草刈りをすること。
それは単なる作業ではなく、「あるものでつくる あるもので生きる」という、昔から里山にあった暮らしの知恵を受け継ぐことでもあります。
森づくりだけが目的ではありません。
自然の循環を大切にしながら、里山文化そのものを次の世代へつないでいくこと。
その営みは、結果として、都会で暮らす人たちの心や暮らしにも、きっと何か大切なものを贈っているのだと。
そして、暮らしを問い直すきっかけになってくれればと思います。
そんなことを思いながら、今日も森に入っています。
熊本県森林インストラクター協会の皆様 お疲れさまでした。この里山を選んでいただいてありがとうございました。
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2025-05-09 11:11:00

なぜ私は田舎へ移ったのか──「あるものでつくる、あるもので生きる」思想と共に

私が都会の暮らしから田舎へと生活を移したのは、現在の社会経済システムから脱却するためではなく、自然の循環の中で「本当に生きている」と感じられる日常を取り戻すためだった。都市では、労働は貨幣と引き換えに分断され、食べ物もエネルギーも「どこから来たか」に無関心になりがちだった。けれど、私たちの命は、自然の営みの上に乗っている。ハイデッガーのいう「世界-内-存在」(すでに意味のある関係性の中に生きている)人間として──すなわち、切り離された個としてではなく、すでに世界の一部として在るという在り方を、私は里山の暮らしの中で再発見した。

 

レイチェル・カーソンは、自然の声に耳を澄ますことが、科学と感性の両面から人間の生を豊かにすると説いた。私もまた、田畑を耕し、薪を割り、井戸の水を汲むという行為を通して、自然との対話を取り戻していった。科学者が言う「生態系の循環」は、ここでは暮らしそのものだ。余計なものはなく、足りないからこそ工夫が生まれる。「あるものでつくる、あるもので生きる」──この姿勢は、スローな自立と創造の源だ。

 

ハンナ・アーレントが分類した「労働(生存)」「仕事(創造)」「活動(対話・関係)」の視点においても、里山はバランスのよい環境だ。労働としての農的な営み、仕事としての手仕事や小さな経済、そして活動としての地域の共同作業や寄り合いが、日常に織り込まれている。田舎では、結や祭り、区の作業といった「活動」が人間関係の土台を支えている。これがあるから、労働も仕事も孤立せず、意味を持ち続けられる。これは、ノーベル経済学賞を受けたエリノア・オストロムが提唱した「共同管理(コモンズ)」の精神にもつながる。

 

田舎へ移るというのは、単なる空間の移動ではない。世界との関係性を根本から問い直し、自分の存在の仕方そのものを選び直すことだ。大量生産・大量消費の外にある「小さく、足るを知る」暮らし。それでいて、広く宇宙・自然界の理(ことわり)とつながる暮らし。これは、自然農の創始者である川口由一の言葉にも通じる。

 

私は里山に移ることで、「どう生きるか」という問いに、手を動かしながら、土や木に触れながら、答えを見出し続けている。これは終わりのない探求であり、自然と共にある暮らしの中でのみ育まれる「哲学」なのだ。

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